<光海君大研究>


大型時代劇「華政」の放送が2015年4月13日から始まりました。

既にブログでの連載記事を読んでくださったかたもいらっしゃると思いますが、今までの連載をまとめてみました。オリジナルの連載は、2015年3月16日から4月5日にかけて、7回の連載記事として発信しました。チャ・スンウォン氏演じる光海君の人生はどんなものだったのか?分かりやすく解説します。
※ドラマ終了後に写真等のアップデートをしました。


まずはタイトルから。「華政」って何て読むの?

韓国語の原題は「화정(華政)」、ファジョンと読みます。ニュースウェイの少し古い記事によれば、光、あるいは花と解釈される「華」に、政治の「政」という文字を使用した造語で、「輝く政治」を意味するようです。公式ポスターに使用されている「華政」の文字は、劇中に出てくる貞明公主(チョンミョンコンジュ)が実際に書いた文字を使っています。

華政 ドラマ ファジョン



チャ・スンウォン氏演じる「光海君」とは?

こちらも少々難読かもしれません。光海君(クァンヘグン)と読みます。ちょっと慣れない発音ですね。なるべくふりがなを振るようにしますが、私たちにとっては最も重要な名前ですので、ここで覚えましょう。クァンヘグン、クァンヘグン…。

光海君(クァンヘグン)は、王位に就いたものの、そこから引きずりおろされるように「廃位」となり、済州島で最期を迎えるという波乱万丈の人生を送ります。そんな光海君の人生を大解剖してみたいと思います!

歴史モノはちょっと苦手…という方にも分かりやすいように解説するよう努力します。ドラマの内容が必ずしも解説に沿ったものとは限りませんので、その点だけ、あらかじめご了承ください。

チャスンウォン 華政 光海君 クァンヘグン



光海君を取り巻く7人の“親戚”たち

まずは押さえておきたい登場人物から。
最初は何といってもスンウォン氏演じる、光海君(クァンヘグン)です。衣裳が本当に似合っていて惚れ惚れしてしまいます♡光海君は楽々クリアですね。

チャスンウォン 華政 光海君 クァンヘグン
光海君:チャ・スンウォン氏



その1・父
光海君の父親は王様です。朝鮮王朝14代目の王、宣祖(ソンジョ)がその人です。ドラマでは、父親から疎まれる存在であったという設定の光海君ですが、父子の対立シーンもあるのでしょうか?ドラマでは、パク・ヨンギュ氏が演じます。

パクヨンギュ 華政 ドラマ 宣祖
宣祖:パク・ヨンギュ氏



その2・父の側室
仁嬪金氏(インビンキムシ)というのが、14代王、宣祖(ソンジョ)の側室です。この人が産んだ男子が光海君の最初のライバルとなります。

その3・父の側室の子
父の側室、仁嬪金氏(インビンキムシ)が産んだ男子というのが、信城君(シンソングン)です。父の側室の子、ということは光海君とは異母兄弟にあたります。王の座を巡って光海君と争うことになります。

その4・父の二人目の正室
仁穆王后 金氏(インモクワンフ キムシ)というのが、14代王、宣祖(ソンジョ)の二人目の正室です。(1人目は病死)この人が産んだ男子も光海君のライバルとなります。

シンウンジョン 華政
仁穆王后 金氏:シン・ウンジョン氏



その5・父の二人目の正室の子(男子)
仁穆王后 金氏(インモクワンフ キムシ)が産んだ男子というのが、永昌大君(ヨンチャンデグン)です。父が54歳の時の子で、さらには正室の子ということで寵愛を受けたようです。光海君とは異母兄弟にあたり、王の座を巡って光海君と争います。

その6・父の二人目の正室の子(女子)
仁穆王后 金氏(インモクワンフ キムシ)が産んだ女子というのが、貞明公主(チョンミョンコンジュ)です。前述の永昌大君(ヨンチャンデグン)のお姉さんにあたります。同じように光海君とは異母兄弟です。ドラマではイ・ヨニ氏が演じます。

イヨニ 貞明公主 華政 ドラマ
貞明公主:イ・ヨニ氏



その7・父の孫
父の側室、仁嬪金氏(インビンキムシ)が産んだ子のさらに子供にあたるのが、綾陽君(ヌンヤングン)、のちの16代王の仁祖(インジョ)です。光海君にとっては、異腹の甥にあたります。ドラマではキム・ジェウォン氏が演じます。

キムジェウォン 仁祖 華政 ドラマ
仁祖:キム・ジェウォン氏



いかがでしょうか?すでに混乱気味でしょうか?正室やら側室やら、王様の周りには家族が多いのです。乱暴な言い方をすると、光海君(クァンヘグン)の父である14代目の王様には、奥さんが8人いて、子供が25人もいる巨大なファミリーなのです。簡単な系図を作りましたので、ファミリーの関係を理解するお手伝いになればと思います。

華政 相関図 朝鮮王朝 系図




出生、そして王の後継者争いへ

日本では長篠の戦いで織田信長が鉄砲を撃っていた頃、と言えば大まかな時代背景が分かるでしょうか。光海君(クァンヘグン)は1575年に朝鮮王朝の14代目の王、宣祖(ソンジョ)の次男として生まれました。母親は側室の恭嬪金氏(コンビンキムシ)で、同じ母親から生まれた臨海君(イメグン)が長男です。側室の子でしかも次男、となれば本来ならば王位継承にはあまり関係のないはずの光海君でしたが…。

華政 相関図 朝鮮王朝 系図 クァンヘグン



数々の韓国時代劇ドラマを見ても分かるように、政治の派閥や、お妃たちの「わが子を王に!」という、し烈な争いはいつの時代にも起こっていたようです。光海君(クァンヘグン)の人生も大きく変わろうとしていました。

父親である14代目の王、宣祖(ソンジョ)には40歳を過ぎても正室である懿仁王后(ウィインワンフ)との間に子供がいませんでした。そのため、世子(セジャ)と呼ばれる後継者選びが遅れていました。正室との間に子供がない、ということは、側室との間に生まれた子供たちが後継者に選ばれる可能性が高いことを意味します。すでに何人かの側室との間に子供をもうけていた宣祖の周りでは、今でいう政党のような派閥に所属する政治家たちがこぞって、自分たちにとって都合のよい「後継者」を推薦して、次期国王にしようと策をめぐらせます。

西人(ソイン)と呼ばれる派閥が光海君(クァンヘグン)を推薦し、東人(トンイン)と呼ばれる派閥が信城君(シンソングン)を推薦し、火花を散らしていました。信城君は王の側室、仁嬪金氏(インビンキムシ)が産んだ子で、王様にも愛されていました。後継者争いのライバルとなった光海君と信城君は、母親違いの兄弟でわずか一歳差。今で言えば高校生くらいの年頃で、派閥・後継者争いという大きな波にのまれていきます。

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後継者争いの末に…ついに王に!

信城君(シンソングン)が有利か、と思われた後継者争いは、西人(ソイン)と東人(トンイン)のそれぞれの派閥の激しい陰謀・計略合戦ののち、思わぬ方向に進みます。

1592年、壬辰倭乱(イムジンウェラン)、日本では「文禄・弘安の役」と呼ばれる戦いが勃発したのです。日本からは豊臣秀吉が出兵し、朝鮮半島で戦いが始まります。この戦いにより、王は避難することになり、非常事態のために朝廷を二つに分け、本朝廷を王が、もう一方を光海君(クァンヘグン)が治めるようになります。この頃、対抗馬であった信城君(シンソングン)は避難の途中で病死しており、光海君の兄にあたる臨海君(イメグン)は王の資質がないと判断され、光海君が後継者=世子(セジャ)として選ばれることになりました。

しかし世の中そう簡単にはいきません。当時の朝鮮王朝では、後継者が決まるとお隣の国、明(ミン:中国)に報告をして、明の国から認められないと正式な後継者にはなれなかったのです。光海君が後継者になる、という報告は残念ながら明の国から拒絶されてしまいます。正式に認められないまま、国内では後継者として過ごしていた光海君(クァンヘグン)に、またしても大きな波が押し寄せます。

体の弱かった王の正室、懿仁王后(ウィインワンフ)が亡くなり、王は正室の後釜の座に仁穆王后(インモクワンフ)を迎えます。そして、その仁穆王后が男の子を産んだのです!正室である仁穆王后が産んだ嫡子、永昌大君(ヨンチャンデグン)の登場で、光海君の立場は悪くなります。当然の流れとして、正室の子を王位継承者に、という動きが出てきます。

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こうして光海君(クァンヘグン)は再び、光海君派と永昌大君(ヨンチャンデグン)派の王位継承争いに巻き込まれてしまいます。そんな中、父親である14代国王が重体となり、最終的な後継者の決定ができないまま息を引き取ってしまいます。国王の死により、王位継承の決定は正室である仁穆王后(インモクワンフ)の手にゆだねられることになりました。

自分の子である永昌大君(ヨンチャンデグン)に継承させると思いきや…。当時まだ幼かった永昌大君が即位するのは現実的でないと判断した仁穆王后は、光海君を即位させる命令を下したのでした。

10代の半ばから後継者争いに巻き込まれた光海君が、ようやく王座を手にしたのは1608年、33歳の時でした。

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15代国王として -光海君の政治-

15代目の国王として即位した光海君(クァンヘグン)は、現実的な利益を重視した外交政策、王権の強化、民の暮らしの安定、政治的な派閥の争いの収束などに力を入れた政治を行いました。外交政策では、周辺国である明(ミン)の衰退に伴い、明との関係を見直し、また、1609年には日本と「送使約条」を結び、対日外交を再開するなど、時代の流れを読んだ対外政策をとりました。

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戦乱で焼けてしまった宮殿の再建や改修を行い、焼失した歴史書などの書籍の刊行も指示しました。また、全国の農地調査を行い、納税制度を見直して、民の暮らしを救済すべく減税を行ったことも知られています。戦乱で荒れ果てた当時の都、漢城(ハンソン)から坡州(パジュ)という別の場所に都を移す計画も練っていましたが、これは様々な事情により延期され、実現することはありませんでした。

光海君は、王権を強化するため、自分が国王となるまでに王位継承に関して計略をめぐらせた反対勢力に対して、厳しい取り締まり、「粛清」を行ったことでも知られています。当時、光海君を支えた派閥、「大北(テブク)派」と呼ばれる政治家たちによって、次々と粛清が行われました。

1608年には同じ母から生まれた兄である臨海君(イメグン)を配流し、毒薬を与えて葬りました。1613年には、最後まで王位継承者の座を巡って争った8歳の異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の冠位をはく奪して配流した後に殺し、1618年には、その母である仁穆王后(インモクワンフ)を幽閉しました。

シンウンジョン 華政
仁穆王后(インモクワンフ)



反抗勢力、そしてクーデター

王権をより確かなものにするため、反対勢力を処罰・排除していく過程で、光海君(クァンヘグン)のやり方に反発する勢力が出てくるまでにはそう時間がかかりませんでした。

ついに1623年、仁祖反正(インジョパンジョン)と呼ばれるクーデターが勃発します。クーデターの首謀者は綾陽君(ヌンヤングン、のちの16代王の仁祖)で、光海君が最初に王位継承者争いをした信城君(シンソングン)の弟の子供、光海君にとっては甥にあたります。綾陽君も14代国王の血筋にあたるので、光海君が王位に就いた後もその座を密かに狙う立場にありました。

光海君が先代の国王の嫡子である永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺害し、その母である仁穆王后(インモクワンフ)を幽閉したことや、外交政策への不満を理由にクーデターを起こし、結果として光海君は「廃位」、王の座から引きずりおろされ、江華島(カンファド)、さらに済州島(チェジュド)に配流されることになりました。


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配流

光海君(クァンヘグン)には在位中、10人の夫人がいましたが、子供は後継者である世子(セジャ)の侄(ジル)、翁主(オンジュ)の男女一人ずつしかいませんでした。

配流になった時、正室の柳氏(ユシ)と長男である侄(ジル)、その正室の朴氏(パクシ)の四人で江華島(カンファド)へ流されます。長男夫婦は2か月後に殺され、正室の柳氏も1年半後には死去してしまいます。その後、光海君は済州島(チェジュド)に配流され、何度か命を狙われながらも、超然とした態度で実に18年間もの屈辱的な配流生活を送り、都から遠く離れた配流地の済州島でその生涯を終えます。

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まとめ、そしていよいよドラマ「華政」へ!

光海君(クァンヘグン)はこれまで、「暴君であり、暴政により王位から降ろされた」という解釈が一般的で、多くの映画やドラマでも暴君として描かれていることが多いようです。

しかし、歴史書から見えてくる光海君の姿は、民のために様々な改革を行い、戦乱で荒れ果てた都を復興させようと努力し、国を取り巻く外国情勢にも敏感な王であるようにもみえます。また、王を取り巻く派閥同士の凄まじい権力争いによって、反対勢力を排除しようとする流れにあらがえない光海君の姿も見えてきます。

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光海君は異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺害することに反対したという説もあり、またその母である仁穆王后(インモクワンフ)を殺さずに幽閉したのも光海君であることを考えると、実際のところ、光海君という王がどんな考えを持ち、何を成し遂げたかったのか、ますます興味がわいてきます。

どの国の歴史書も、いわば「勝者が歴史を都合よく書いたもの」であり、残念ながら400年も前に生きた光海君の様子をそのまま知ることはできません。光海君については、近年、新たな研究が進み、以前とはまた違った評価も出てきているようです。

王の地位を追われ、済州島で屈辱的な配流生活を18年間も送った光海君。幼いころより王を夢見て王となり、王の座を追われたその心境はいかばかりだったかと、切ない気持ちになります。

現在残されている史料と研究から、どんな光海君が浮かび上がるのか。新たな視点で描かれる光海君が大変楽しみです。そしてこの激動の人生を生き抜いた光海君を、チャ・スンウォン氏がどのように演じるのか、ファンとして待ちきれない思いでいっぱいです。

華政 ドラマ チャスンウォン



以上、光海君(クァンヘグン)の人生を大解剖してみました。最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました!スンウォン氏出演のドラマ「華政」を見るにあたって、少しでも理解が深まるお手伝いができたなら嬉しく思います。

この記事は、下記の書籍を参考に、管理人の個人的意見を加えて再構成しました。分かりやすく説明するために細かい部分は省いてありますので、ご興味がある方は是非「朝鮮王朝実録」をお読みください。長い時間をかけて一生懸命書いた記事ですので、転載はご遠慮ください。

参考文献:『朝鮮王朝実録【改訂版】』朴永圭著 キネマ旬報社



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